亀岡市での事件と実名報道で思い出したこと

もふもふあげさん 社会
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今日は朝の9時を過ぎた頃、某社を出産のために辞めた元派遣な方からメールが届いていた。予定日通りで無事出産できたので、落ち着いたら見せに行きますという内容。初産だし戸惑うことも多いそうでヘロヘロということだけど、連れてきたらどうしてやろうかとずっと考えていたお昼過ぎ、ひどいニュースに出くわした。

23日朝、京都府亀岡市で登校中の小学生の列に軽自動車が突っ込んで10人がけがをした事故で、意識不明の重体になっていた小学校2年生の女の子と26歳の女性の2人の死亡が確認されました。

女性は妊娠中でお腹の赤ちゃんも助かりませんでした。

このほか小学生2人が意識不明の重体です。

登校中に車 小学生と妊婦が死亡 NHKニュース

事件そのものがひどいのは当然のことで、いろんな方がこれに言及していたのだけど、いちばん酷かったのは速報を流した @47news 。被害者である妊婦さんの死亡が流れていない状況にも関わらずニュースタイトルに個人名が入っていて、それが RT で流れていたのである。

元発言を非公式 RT された方は個人名を伏せてくれていたけど、それを見た時はまだ重症ということで、私は無事助かるものだとばかり思い込んでいた。そのような状況で関係のない方々にまで悲しい状況を知らしめる必要がどこにあるのか、私は全く理解できず。

私がその立場なら黙って放っておいて欲しいし、ニュースソースとして『流産した』というキーワードが大事なのであれば、名前を出すのは止めてくれないと精神的ダメージが大き過ぎていつ立ち直れるのかわからない。

悲しい状況になったとして、それを伝えなければいけない方々というのはいて、でもそれは関係者が判断すれば良いことで、一部先走る報道に関しては気分が悪くなる。今回の加害者は未成年らしいけども、恐らく犯人の名前は公表されないだろう。被害者が辛い目に遭って名前と状況まで晒されたにも関わらず、だ。生きて自身の晒された状況を後から知ることになるような事態なぞ、胸が張り裂けそうになるのではないか。

そういうことを考えつつ続報を待っていたら、先に引用もしたけども女性は亡くなったと。亡くなったから名前を出して良いとは全く思わないのだけど、一連の流れを踏まえるに心のもやもやがなくならない。朝に嬉しい報告を聞いてたから余計に切なくなる。これからなのに死ぬ人と、今そこで生まれた人の差とはなんぞや。これを書いている今、ニュースでは亡くなった女性の顔写真も流れている。知らない情報があっても良いはずなのに、マスコミのやることは残酷だ。

10 年近く前、父親が亡くなったときに喪主をしたのだけど、葬儀が終わって実家にて休んでいたときに地元新聞社から電話があった。「お悔やみ欄にお名前を出しませんか」という話だったのだけど、それは丁重に断った。関係ない人にまで知らせる必要はないと判断したからだ。父親の死後1年経って、それを知らなかった知人を名乗る方から連絡があったけど、そういうのは思いの外少ないもので。

死刑に関する議論においてもそうなのだけど、いつも保護されるのは(それが加害者であっても)生きてる側の人間です。被害者側として、そっとしておいて欲しいと願う方々はそれなりにいると考えるのだけど、死んでしまった以上はプライバシーも(生きていれば)何かしら所有していたであろう権利までも失って踏みにじられるわけです。

この状況、何とかなりませんか。

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