あげさんの一周忌で思い出すこと

あげさんの一周忌で思い出すこと

大阪から上京して数年後、当時川崎に住んでいたネット仲間から「猫拾ったんだけど見に来る?」という連絡が入った。1997年のこと。「猫飼いたいなぁ」みたいなことを言っていたのを覚えていてくれての話。

別のネット仲間が車を出してくれて、深夜に川崎へ行って、はじめて彼女に会う。ドブに落ちていたようで身体はげしょげしょで耳の中は真っ黒。「可愛そうだから2回お風呂に入れたんだけど」とのことだったけど、まぁオンボロな風貌であった。

皆が彼女を観て「うーん」と言うのだけど、私は「いや、ありがとう。連れて帰るよ」と言ったのが、はじまり。

げしょげしょでオンボロな風貌の彼女は何度かお風呂に入れて病院にも連れて行ったりして、どんどんと変貌する。「この子めっちゃ美人じゃん! おまえらよくもまぁひどいこと言ってたなw」という状況になる。

あげさんは美人さんなのだよ

『あげ』という名は、油揚げみたいな毛並みだったから付けた。女の子の名前としてはどうかという話もあるけど。きれいな茶色と白の毛並みはふわふわで、雑種なのに優雅な風貌になったのは、『みにくい白鳥』を地で行ってるような気もした。

一緒に過ごしてからのある日、当時住んでいたマンションのドアを開けたら脱走した。慌てて追いかけて行ったのだけど、マンション隣りにあるお屋敷(敷地はフェンスで囲わている豪邸)の前で、あげさんは番犬に吠えられて固まる。おかげさまで確保することができたのだけど、あれはいまだに感謝している。

犬に吠えられて固まったあげさんを抱っこして、「おまえここから逃げてもご飯どうするの? 生きていけるの? おれがずっと面倒見るから。ご飯で困るようなこと絶対にさせないから。だから一緒に帰ろうよ」と言ったのよ。そうしたら黙って腕の中で動かなくなった。抱かれるの嫌いだったのにね。そうしてここで、はじめてあげさんは私の家族になったような気がしたのだ。

以降、家のドアを開けても逃げなくなった。そろそろと出ていくのだけど、ドアを閉める動作をするとダッシュして戻ってくる。当時は煙草を吸っていたのだけど、玄関のドアを開けて私は座って煙草を吸って、そろそろとドアから出て探検するあげさんを観るというのが日課だった。(部屋が通路の突き当たりだったので、ドアを開いたままにすると通路全貌が見えたのだ。)

現在住んているマンションに引っ越すとき、冷蔵庫を動かしたらペットボトルの蓋が大量に出てきて爆笑したことを思い出す。ペットボトルの蓋とFAX用紙の芯にガムテで貼り付けた黒い紐、それからティッシュの空箱で遊ぶのが大好きだった。丸めた紙を投げたら追いかけて拾い、私の前まで持ってくる。

引っ越した今のマンション。自宅で作業するときはパソコンラック前に座って行うのだけど、彼女はいつもパソコンラックの上の棚に鎮座してずっと私を観ていた。仕事が終わったのを確認したら「あそびませんか(強制)」。仕事で外に出るときは「これから仕事だから出るけど待っててね」と言えば黙って寝てた。仕事じゃないとき(ゴミ出し等)で外に出たら、玄関前で「どこいくんですか」なんて感じで鳴いていた。

顔を突き合わせて「これこれこういう理由で〇〇します」というと、ちゃんと理解してくれる。私が飲んで朝帰りなどしたときは、帰宅時に説教してくる。「なにやってましたかなんでかえってこなかったんですかぷんすかぷんすか」

はじめてトリミングをしたときの衝撃は忘れない。長毛種の優雅さに慣れていたのだけど、短い毛が生え揃ってきたときのかわいさたるや。その時の写真は今でもiPhone SEの壁紙として使用している。

ちなみにあげさんは「かわいい」と言う言葉の意味をもしかしたらだけど理解していたようで、「かわいいねー」と声をかけると目をそらし、でも満更でもない雰囲気を出していた。カメラを向けるといつもポーズを取ってくれるので、遊びに来たお客さんのウケもすこぶるよかった。

冬場は布団に潜ってくるのだけど、なにせ長毛種なもので暑くなったらすぐ出てしまう。そうして私の顔の横で寝る。少し冷えたらまた布団に入ってくる。背を向けると怒るので、いつも寝るときは左側を下にして横になっていた。整体に行くといつも「寝てる姿勢悪くないですか?」なんてことをよく聞かれたのだけど、こればっかりは仕方がない。

布団に入ってきて腕枕でまったりするあげさん

これもやはり冬場なのだけど、こたつ前にノートパソコンを置いてあぐらをかいて作業していると、テントを要求してくる。テントというのは、座っている私の左肩側だけに毛布等をかけて、その中にあげさんが入って寝るというやつ。毛布等が身体に密着しない空間ができるので、暑がりなあげさんでも私の左足太ももを枕にしてずっと寝ていられた。うっすら暗いしね。ただ、これをされたら私がトイレに行けないのはきつかった。

左足太ももがあげさんの枕

あげさんは私が目覚まし設定している時間を覚えていたようで、アラームの鳴る10分くらい前には自身がアラームと化していた。もうちょっと寝たいというときはきつかったのだけど、そのおかげでアラーム忘れからの寝坊回避をすることが何度かあって、大事な会議スルー事件を起こさないで済んだこともある。

最後の数年は介護の日々となったのだけど、嫌な点滴も黙って受け入れてくれていた。メインの病院へ行くときは専用のかごに入れて連れて行くのだけど、タクシーがなかなか捕まらないこともあった。そういうときはあげさんが不安にならないようにずっと話し掛けて歩いていたのだけど、周囲の人からはさぞかし変な人にみえたことだろう。

ああ、思い出すことがたくさんあるよ。そうして一緒に過ごした20年と11か月。振り返れば平成という時代は私にとって、あげさんとの生活の日々だったかもしれない。本当に出会えてよかった。

昨年の今日。セカンドオピニオンとして利用させていただいている近所の動物病院に連れていきいろいろと話をし、そうして覚悟を決めて抱っこしての帰路のポカポカ陽気が忘れられない。そうだ、思い出した。帰るとき「かごに入れますか?」と聞かれたのだけど、「いえ抱っこして帰ります」と言ったのだった。

1年経つのがはやい。お骨はまだ目の前に置いてあって、毎日お供えをして毎日声を掛ける。外出するときはお骨入りペンダントを首から下げて一緒に動く。同じことを毎日のように繰り返しているけれど、身体が勝手に動くようになっている。これはきっと、これからも続くのだと思う。

月命日である29日は、毎回あげさんが大好きだったサーモンとまぐろの刺身を買ってきて一緒に食べる。そうだな、生活の中で何が変わったかと言うと、世間的に毎月29日は肉の日なのに、私としては魚の日になったことだ。生前からあげさんに刺し身を出すときは「おさかなおいしいねー」と声を掛けていた。

だから今日も、「おさかなおいしいねー」と声を掛けるのであった。