今日は猫の日ということで古い画像を漁っていたのだけど、いろいろと写真が見つかった。当時持っていたデジカメがどのようなものだったか忘れたけれど、サイズはすべて 320×240 になっていた。あげが来たばかりのころに買ったような気がするのだけど、なかなかこれが懐かしい。
あげが我が家に来たのは 1997 年のことで、この写真はそれから少しして去勢手術をした時のもの。抜糸までエプロン着用だったのだけど、自分でめくってよく糸を引っ張っていた記憶がある。
当時はまだ私が上京して2年と少しくらいかな。仕事もまだ定まった状況ではなくて、いろんな人からもらった仕事でお金を得ていたように思う。この時は確か、えせライターをしていたり某放送局でバイトしていたり。基本的に自宅で仕事をしていたので、去勢手術をしてしょんぼりしてたあげとずっといることができた。
パソコンラックの前に座って原稿を書くのだけど、足は椅子の上であぐらをかくくせがあって、あげはそこに乗ってきて仕事中はずっとそこで寝ていたように思う。トイレで立ったりすると文句を言われたりした。引っ越す前の狭いワンルームマンションだったのだけど、「早く広いところに越したいよなぁ」などと考えていたように思う。
そうして2年後の 1999 年にまろが来る。今のマンションに引っ越して少ししてからかな。仕事仲間であり友人でもあった某人が保護した6匹の捨て猫の中から、1匹チョイスしていただいてきたのがこの娘。とても小さくて、当時はプレーステーション2のコントローラに隠れるくらいの大きさ。タバコでいうと2箱分くらい。
あまりにも小さいから、あげもかわいがってくれるかと思いきや、期待はまるきし裏切られ。どうもあげは自身が人だと思っているようで、猫は嫌いだったらしいことがここで発覚。当時は一緒にしておくといじめられてかわいそうだから、少し大きくなるまでは育てる部屋をわけて生活させていた。
身体が大きなってからは、まろからあげにフライングボディアタックするくらいには性格も図太くなっていたから安心できた。未だにあげに近寄るとしゃーしゃー言われるのは不憫だが、まろ的にはそれが普通になっているので、まぁなんとか。そのくせ寒いこの時期は一緒にホットカーペット上に居座って腹を出してるのだから、よくわからない。結局のところ、あげもまろも寒さには勝てないらしい。
昔書いていたことがあるのだけど、「あげは人を寄せる猫」であり「まろは人を選ぶ猫」だと思ったことがある。あげは社交的で、自宅に来るお客さんの対応がすこぶる良い。カメラを向けられたらポーズをとるくらいあざとい。あげの存在のおかげでもらった仕事まであったのは、未だに不思議でならない。
まろが来てからは、それまでの仕事関係における人間関係が整理された。人見知りで自宅に来るお客さんには顔を見せないで隠れてしまうところがあって、あげとはまるきし逆の性格。この娘が来てから仕事の方向性が決まったように思う。あげとまろがいなかったら、今の状況にはきっとなっていなかったという自信がある。
当時はやんちゃだった彼女たちも今ではすっかり落ち着いて、ご飯が欲しいとき以外のアピールは激しくなくなった。ごろごろだらだらしているのが猫の真骨頂だとばかりのスタンスで、今もお互いがホットカーペット上でうにゃうにゃしている。本当は彼女たちの遊び盛りの時に、もっと広い家に住めたら良いなと思っていたけれど、それを実現させることはできなかったのが少し残念ではある。
『寿命との兼ね合い | 脳無しの呟き《土鍋と麦酒と炬燵猫》』というエントリを先日書いたけど、彼女たちの人生ならぬ猫生が病気もなく穏やかに流れていってくれたらうれしい。彼女たちには本当に、とても感謝してる。