有名芸能人における歳の差婚というものが流行ってるようだけど、冷静に考えてみるに前後 15 歳差が限度ではないかと思っていたりしている。簡単な話として、共有できる体験があるかどうかの限界が 15 歳差くらいではないかなと。
共有できる体験というのは、観ていたテレビ番組であったりよく知っている芸能人だったりがメインかな。大きなイベントや事件(オリンピックであるとか震災のようなもの)のパターンもあるか。
それ以上の年代差で共有できる話題のあるケースは、相手に歳の離れた兄弟姉妹が居て……というようなパターンで「あの番組ならお兄ちゃんが観てたから一緒に観てたよ」的な感じ。そうでもなけりゃ歳の差のある間柄で「それそれ!」「あったあった!」みたいに盛り上がることのできる話題というのは、かなり限られてくるような気がしている。
あまりに歳の差が大きいと、日常使う言葉でさえ相手が知らないというケースもあったりして、「えっ?」「えっ?」と言いながらお互いの顔をまじまじを眺めてしまうということを経験したことは結構ある。ともかくは全くないとは言わないけれど、歳が離れ過ぎると過去のことで共通に話題で盛り上がることのできることは少ないよなぁとか。
共通の話題が少ないということは逆に、「おれの小学生時代の給食は〜」であるとか「私が中学生の頃なんて○○が流行ってて〜」という、お互い知らなかったことを教え合って「へー」「ほー」みたいな会話が多くなる。それはそれでおもしろいけれど、時代の違う幼少時代は将来におけるお互いの価値観も違うものに形成しているような気がして、やはりどちらかが合わせるという作業がないことには疲れるのではないかと思ったりもする。
知り合ってからのことはお互いで積み上げていくだろうし問題ないとも思うのだけど、過去のことに関してはどうしようもない。そういうことを考えるに、30 歳以上離れた相手との結婚であるとか「日常の細かい部分も含めてのギャップは気にならないのだろうか」などと余計なお世話的に考えてしまう。
一般人としては単純に 50 歳の男性が 20 歳の女性と結婚し、子どももできたとして……子どもが成人する頃にはお父さん 70 歳ですよ。ヘタすると子どもが高校生になる前にリタイヤ隠居状態です。場合によってはこの世にいない。そういうことまで考えると、無責任な気がしないでもないなとか思ったりもする。
そういや近藤真彦がテレビで「子どもの運動会で他の若いお父さんに負けないようにとか気合い入れていたら、父兄参加の競争なんてなかった」的なことを言っていたのだけど、お父さんともなれば要所要所で『強くてかっこいい父親』みたいなものを見せたくなったりするというのは理解できるわけで、その時に隠居状態だったら悲しいよね、みたいな。
ただ、あまりに歳の差が離れていれば残された側はいくらでもやり直しが効く年齢だとは思うので、歳の差婚における救いは唯一それなのかもしれないなと。そう考えると残せるものがたくさんある人であれば、あまり気にしないで我が道を走ることができるのかもしれない。うらやましいと言えばうらやましい話。
それでもやはり個人的には、過去のことに関しても共有できる話題は多い方が楽しいよなぁと思う。過ごした時代が近ければ経験から得た思考も近いだろうし、話は合いやすい気がする。というか相手の親と顔を合わせた時、親側と数年しか違わない歳の差であったりするとか恐ろしくて考えたくもないな。歳の差が大きいと、相手方親よりも年上のケースもあって、そういうのって想像して笑う分にはいいけれど、一般人だとかなり難易度の高い人生ゲーム。
まぁ同世代でも住んでいた地域が違うとお互い知らないことだらけなのだが、それはそれ。お互いが知っているテレビ番組があるとか流行った楽曲があるというのは、ある意味すごいことなのだなぁとか思ったりしたのであった。