『考える生き方』を読了したのだけど

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20〜23 歳くらいまでが多分自身の生き方としてはどん底で、仕送りでは足りない部分をバイトでもして稼がないとダメだったのに学校にも行かず昼間から公園のベンチで寝てたり、パチンコや麻雀でお小遣い程度稼いでみたりなことしてて。

当時の私に声を掛けてくるのは消費者金融の取り立てしてるという自称元ヤクザのおっさんであるとか、「どこに打ったらそんだけ出せるんだ」とか声を掛けてくるパチプロくずれのおっさんだとか、偽物の高級時計を売って暴利稼いだ挙げ句数ヶ月消えたと思ったらどこかでお世話になったらしく丸坊主になって帰ってきた行きつけの喫茶店店員だとか。そういう方々から「手伝わない?」なんて感じのこと言われたのだけど、いやぁ行かなくて良かったね。

住んでたところがダメだったんだろうけど、日曜朝は向かいにある街宣右翼の事務所から流れる軍艦マーチで起こされるし、晩ご飯食べるのに入った喫茶店ではなぜか満員で「おかしいな」とか思っていたら、店の隅で店員から2千円くらいをもらったおっさんがいて「ん?」となった瞬間、店の(私とおっさんを除く)全員が立ち上がって「はい、そのままー警察ですー」みたいな。駅前の風呂トイレ付きアパートなのに家賃激安だったのは、きっとそのせい。

ちなみに後者はテレビゲーム賭博やってたおっさんが現行犯で捕まったという話なのだけど、めし喰ってただけの私も住所やら氏名やら電話番号やら聞かれてありゃ驚いた。どこの刑事ドラマだ的な。

お金もなくてあんまり食べなくてかなり痩せてたので、久しぶりに行ったスーパーで安売りしてたうなぎの蒲焼きを1枚買ったら、おじさんが少しだけ私の顔を覗き込んだあと、黙って袋に蒲焼き2枚追加してくれたりとかいうハートフルストーリーなんかもあった。普通なら「がんばれよにいちゃん!」だと思うのだけど、「死ぬなよ……」的な雰囲気だったので一人お葬式モード。

その後は安い家賃も滞納することになったから逃げるように地方の工場へ。そこで現金稼ぐことにしたのだけど、そこでもまぁ一歩間違えれば殺されてたという話があったりで、まぁ北九州あたりから来る出稼ぎのアレな人達ってのは頭のネジがどこかぶち切れてるよねとか、ああ熊本の人って親切だなーとか、そこでもちょっとしたハートフルストーリーが。

結局きつい工場勤務からも逃げたけどお金は結構溜まったからそれで滞納家賃返したりして、まぁそこから何となく普通の人のような生活に向けて動き出したようにも思うのだけど、仕事はともかくいろいろやったわな。そこでの経験は少しだけなんだけども今でもそれは活きてるし。

20 代の残りは一般的な生活できたかと思いきや、最後の最後でどんでん返し的などん底があって、その当時は周囲から「そのままだときっと死んじゃう」的に思われてたようでもあり。結局上京することになってフリーランスとして生活してるけど、それは儲けたいからではなくて「性格的に会社員としては生きていけない」からであって、心の余裕を得るための選択肢であったのだな。いつかどこかでのたれ死ぬかと思いきや、それはそれでなんとかなってるようで。

話はすっ飛ぶのだけど。

数年前に中心性網膜症を患って「このまま目が見えなくなったらどうしよう」と思ったことがあって、ただそれは放置で自然治癒するから大丈夫だと眼科の先生は言ってくれたけど、並行して見つかったのは初期の緑内障で、そこは初期だから点眼液で抑えたら死ぬまで盲目になることもなかろうみたいな話もあったな。

私は大病なぞ患ったこともなく生きてきてはいるのだけど、放置で治ると言われている中心性網膜症でも最初に聞いたときは「どうしよう」と思ったものだった。今は2度目のやらかしなのだけど、それもマシになってきた。

あと、現役で亡くなってしまった父親の葬儀で 200 人以上を前にして喋ることになった長男であったり、「子供が 15 歳になるまでは親の責任だから何でもしてあげるけど、それ以降は自身の責任だよ」と教えられた私としては、『考える生き方』を読んでもなんというか、「おれ劣化 finalvent じゃねぇかw」としか思えなくて、読んで良かったと思う半面また自分の過去を思い出すハメになってげんなりしたというかなんというか。

新鮮だったのは沖縄での生活の話で、やはりこればかりは経験した人に教えていただかないとさっぱりわからないことですよね。漠然としか理解していなかった沖縄の話は心に残りました。何いい歳ぶっこいて今更な感じでいっぱいですが。

読んでいるといろいろと掻き立てるものがあるのだけど、それを全部書き出せるわけもなく。ただ言えるのは、飲み会の場であるとかで仲の良い方々に過去の話をすると、みながこぞって「人間のクズだ!」と言ってくるので、ええまぁ私なんてクズでございますよとしか。うん、まともな生き方してないなきっと。

とりあえず、あげさん(猫)が元気に天寿をまっとうしてくれて、それを見届けることができるまでなら生きていようとかは思っているけれど、その後は別にどうでも良い感じにはなってる。そういう意味では、私が今いる場所は『考える生き方』の 4/5 くらいの位置になるかな。気分的に。

自分に希望がなくても、誰かの希望を信じた方がいい気がする。
じゃあ、自分はそっち。人類の希望を信じよう。
生きる命というのを信じよう。

finalvent 著『考える生き方』(No.3460/3492 より)

だからまだ、自身が生きてかつ、そのように思うという考え方にはなってないかな。「私はいいからあんたが幸せにでもなればいいじゃない」くらいの感覚だったりするので。それにしてもやはり、Kindle 本の引用はどうしたらいいのかわからんな1

書評で誰かが書いてたけど、私も彼が失意の人なんじゃないかとばかり思っていたよ。ものすごくパワーのある人じゃないか。こういう人はなかなか死なないって、いろんな人は云うのだよね。娘さんの結婚式に出席して涙流したり「まさか、孫を抱くことになるとは思わなかった」と書ける日が来るとおもしろいのではないかな。それにしてもこの本は、自身の過去をえぐり出す悪書だったよ。褒め言葉として書くけれど。

ともかくは私もせめて、おもしろいことを考えて残りを生きてみようかなとは思った。

  1. Kindle 本からの引用で悩む | 脳無しの呟き《土鍋と麦酒と炬燵猫》』を参照してください
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