某社で顔を出した帰りの東京メトロにて、盲導犬を連れた方と同乗することがある。一昨々年にも書いたのだけど [01] 、とりあえずはお元気そうでなにより。
いつもの駅の改札口は地下1階、ホームは地下3階にあるのだけど、今日の彼女は私の前を階段で降りていた。面白かったのは彼女が先行で階段を下り、それに引っ張られるように彼女の目が降りて行くことだった。彼女たちはゆっくり進むのだけど、私も急いでいなかったので後ろから観察する形。
後ろから見ているとまるで、弱った犬を気遣いながら階段を下りて行く健常者のようにも見える。杖は持っていないし足の感覚だけで階段を降りて行くその姿を見て、単純に「すげぇな」などと思ったり。ましてや盲導犬よりも先に進むのだから。
それにしても、彼女の目は少しよたよたしているようにも見えたから、老いてしまったのかもしれないなぁ。同じ車両に乗り込んだときはほとんどの席も埋まっていたので、そのパターンのときの定番である『空いている場所で盲導犬は丸くなる』わけなのだけど、そのときに「どっこいしょ」という声が聞こえたような気がした。
「お別れの時はどうなるのだろう」と、たまに考えてみたりする。
盲導犬のストレスというのは相当なものらしいので、そういうことが頭の中をぐるぐるするとどうして良いのかわからなくなってくる。勝手に考えて勝手に困っているだけなので、そんなことはどうでも良いのかもしれない。ともかくは“彼女の目”を見ていると「いつまでも元気なら良いなぁ」などと好き勝手なことを考えて乗り継ぎの駅を降りることになる。
一昨々年とは違って、今日は「お別れの時」のことは考えないで本を読んでいた。乗り換えの駅で降りて、そそくさと次の電車に乗り込んでから、尻尾を振りながら階段を降りる後ろ姿を思い出してみたりする。そうしてやっぱり思うのは「いつまでも元気なら良いなぁ」という好き勝手なことだった。