『女子高生が鶏を育てて解体して食べる 「命の授業」は残酷か?(1/2) | ビジネスジャーナル』という記事があったので読んでみたのだけど、食品流通科という学科での授業なので「基本的に育てた動物を処理して食べる」ということそのものに関しては別段なんとも。
ただなぁこれ、昔ドキュメンタリーで観た小学生がクラスで豚を飼って、それをどうするか決めるというヤツ [01] を観たときの感想と同じで「なぜに名前を付けたのか」が不思議で不思議で仕方がないのだよな。
命の大切さを伝えるなら普通にペットとして動物を飼ってかわいがって、その寿命が尽きるまで生活の面倒をみるだけでも問題ないと思うのだがなぁ。
小学生時代にうさぎ小屋の管理をやらされたことがあったり自宅ではセキセイインコを飼っていたりして、その生と死をそこそこ経験した身としては、最終目的が食べられるにも関わらず名前を付けてかわいがるという流れが信じられないのであった。
食べないと生きていけないということの裏側にある、食べられる側の事情というのもあるわけで、食べられる側に肩入れしすぎるようなことがあると、そりゃぁ精神的につらいわけで泣く人が出ても仕方あるまいと思うわ。生きていくために必要な非情な現実を極力直視しないようにして、精神の安定を図った方が良い場合もあるだろうに。
というわけで、名前つけて育てるなら、業者に出して処理してもらう程度にしておかないとダメなんじゃないか。それでも十分教育者側の意図は伝わると思うし。名前つけてかわいがって……とやるからショック大なのに。
僕は、卒業生の会話が印象的だった。ある女性は、学生の頃に妊娠し、周囲からは出産を反対されたが、「鶏の解体を経験したからこそ、堕胎という考えには至らなかった」と子供を抱きながら言う。「こんな時、真鍋は思う。自分のやり方は間違っていなかった」
なんかちょっと変じゃね? と思ってしまう引用したようなエピソードがある一方で、精神的に傷を負ってしまう生徒もいると思うのだよなぁ。
そういえば『銀の匙』というマンガがあって、農業高校の酪農科に進学した主人公が子豚に名前を付けてしまって……というエピソードがあるのだけど、やはりよほど腹括らないとそんなことはできんよね。つか、無理無理。ちなみに『銀の匙』では主人公がバイトして貯めたお金でそのブタを買い戻すのだけどね。食肉として。
以前に某社で知り合った派遣さんがいたのだけど、その方は鶏肉はおろかたまごもダメで、聞くと「田舎ではおばあちゃんが飼ってる鶏を絞めて食べされてくれたのだけど……」という感じだったことを思い出した。名前なんてなくても十分破壊力のある行動を目の前にすると、それが普通にトラウマになってしまうという実例をみた。
ひるがえって私の場合ならどうかと云えば、名前なんて付けないで精神的にどこかで壁を作って感情移入はしないようにある程度シャットアウトすれば……なんとかいけそうな気は。まぁそれでも食用牛の生産農家には、なれそうにないけど。いや、牛を育てて自分で捌くのは無理だな。育てるだけで後は業者に出すというなら出来るかな。それでもお別れはしんみり泣くと思うけど。
ある程度『他人事』にしておかないとできないことはあるもので、畜産系の仕事はきっと、その筆頭に並ぶ職業なのだろうなと勝手に考えたりする。もちろん、実際の現場は知らない。
などということを考えつつ、今日もお肉を食べるのでありますよ。
References
↩01 | 『豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日』という単行本になっているし、『ブタがいた教室』という映画にもなっている。 |
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