あげは今年6月で 16 歳になるし、まろは7月で 14 歳になる。お嬢様とは言っているが、人間に換算すればおばちゃんどころの騒ぎではない。斉藤式で換算すれば、あげさん(93)まろさん(86)なのである [01] 。高齢&老齢レベルにも関わらずのこのかわいさたるや、いつまで経っても若く見えるサイヤ人レベル。
さて真面目な話。
『飼い主の孤独死、認知症… 高齢化社会が抱えるペット問題 (NEWS ポストセブン) – Yahoo!ニュース』という記事を読んだ。単身の高齢者が先に孤独死してまって道連れになってしまったり、飼い主の認知症のせいでケアをされないで死んでしまったりするという問題。
最新の調査によると、わが国の総世帯数は4668万4000世帯。そのうち65才以上のひとり暮らし世帯数は469万7000世帯で、ここ数年おしなべて増えている。また平成23年度犬・猫飼育実態調査によれば、犬・猫の飼育率は50才代が最も高く、次いで60才代となっている。
つまり、“おひとりさま”でペットを飼っている高齢者が急増しているとみられるのだ。そしてそうした状況が問題を生じさせてもいる。孤独死した飼い主のそばで衰弱死寸前の姿で発見された犬。認知症の飼い主が、愛猫の病気に気づかず、とうとう死に至らせてしまったケース…。
1人だと寂しくてペットと共に生活するという図式なのだろうけど、このようなことが起きてしまうのは悲しいわけで、できることならペットのことも考えては欲しいと思いつつ……やはり難しい問題なのだろうなぁ。
振り返るに私の場合、希望も込めてお嬢様たちには長生きして欲しくて、可能なら 20 歳くらいまではなんとか生きていて欲しいなぁなどと思ってはいる。あげならあと4〜5年だろうし、まろならあと6〜7年か。計算すると寂しくなってくるのだけど、それでも病気しないで元気なまま、老衰で人生ならぬ猫生を全うしてくれることを望んでいる。そして、彼女達を看取ることができるように、せめて自身もそこまでは元気でいたいと思っている。
自身の生き方を考えるに、残りの人生なんぞ 20 年はないと思っている。私を知る人達からは「絶対に長生きしそう、性格悪いし」的に言われてはいるが、そのような不確定要素で他人ならぬ他猫は巻き込めないことをつらつら思うに、恐らくは今の彼女達が私と共に生きる最後の猫になるのだと、そういう風に考えているのであった。
子どもでもいれば託せることはできるけどもそういうことはないし、第三者にお任せするわけにもいかないだろうし、そもそも残してしまうことが心残りなってしまって自身が死んでも心配で成仏できそうにない。家族としてペットを飼うなら、自身が元気で居られる期間を考慮しないといけない。兄弟親族に後を任せることでもできれば良いのだけど、将来的にそれが保証されるわけでもない。
そう考えると、将来間違って長生きするようなことがあっても、もうペットは飼えないなと思う。自身以外の命に責任を持てるかどうかわからないのだから仕方ない。ペットを飼うなら、自身の年齢も考えてとしか言い様がない。寂しさをどこかで埋めないと耐えられない人は多いのだろうけど、そこは考えておかないと。
とは言うものの、もし目の前に親とはぐれたちびでも現れて、玄関を開けたら上がり込んできて布団の上に居座られたならそれを拒否できるだけの自信がない。そうなったら仕方ないから、もしものことを考えて事前に誰かにお願いすることとなるだろうな。せめて、そういうことはしないと責任放棄になってしまうから。
不幸な子はいないほうが良いし、そういうことができるように心構えだけは、せめて。