森光子と中村勘三郎の舞台


今年は惜しい方がどんどんと亡くなるという年で、ニュースでそれを知る度に「ああこの人も」という言葉がついつい表に出てしまう。先月には森光子さんが亡くなったというニュースが駆け回ったのだけど、芸能関係には縁がまったくない私が観た唯一の舞台は彼女の代表作である『放浪記』だった。

この『放浪記』なのだけど、実は縁あって招待されて日比谷は帝国劇場にある監督席(3階だか4階だか要するに一番最上階の隔離された隅っこ)からの鑑賞という、初めての観劇のくせに上から見下ろすというまったくもって失礼な形になった舞台なのであった。

いろいろと教えてもらってお勉強になった貴重な体験なのだけど、経験値の低さもあってそれがどれほどのものかはまったく分かっていなかった。もちろん、今でもそれは分かっていない。私ごときが語ると金属バットで殴られる。

ただ、観客席も含めた雰囲気であるとか話の流れは「ああ、これが舞台というものなのだなぁ」と上から俯瞰して理解はできて、「これはやはり、普通に観客席から真正面に観るべき物なのではないか」と好意に甘えてしまったことを少し後悔はしてみたりもした。知らない世界を教えていただいたことに関してはとても感謝していたりするけど。

そうこうしている間に森光子さんは亡くなり、結局は普通に観劇することもなく、テレビでたまに流れる芸能ニュースで「でんぐり返しが2回から1回に」というような老いを感じさせる報道が懐かしいと思えるようになったところでの中村勘三郎さんが亡くなったという報道。57 歳は若いね。

舞台に縁がなかった私なので当然のことながら歌舞伎の舞台も観たことはなく、ただただ普通に生きてきたわけなのだけど、追悼の報道を何度か観ていたら「もしかして、この人の舞台を観てなかったのは何か損をしたのかもしれない」というような感覚に陥ったわけですよ。こういうのを後の祭りと人は云う。

なんでもかんでもあれもこれも……なんてついばむこともできないし、もともと縁もなければ興味も無かったのにこれだ。もしかして勘三郎の舞台ってすごくおもしろかったんじゃないの。とてもとてももったいないことしたんじゃないかと、あれこれ考えてみたりしている。

だからと言って、「じゃあ今週末から演劇観るか!」とはならないのだけど。

興味がなかったジャンルにも関わらず、「行ってみようかな」と思わせてくれる人のパワーは改めてすごいと思った。それに気が付くのが遅過ぎるのは問題だけど。もう少し活動的になって観たいものは観ておく方が良いなと思ったのはきっとたぶん、歳のせいなのかもしれない。