母親が転勤族の妻だったのだけど

もふもふあげさん 社会
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転勤族の妻の話が少しだけ話題になっている [01] 。まとめられている主題からは若干逸れるかとは思うのだけど、これで思い出した話を。

父親は大手建設業に勤めていて、しかも大型建築系(ダムであるとか発電所であるとか)をメインで任されていたらしい。母親は結婚して以来の専業主婦(結婚前まではどこかの工場だかどこかで勤めていて実家が農家)。

ダムであるとか発電所であるとか、これはもう山の奥地であるとかともかくは人気のないトコロでの作業を請け負うわけで、結果的には(残された家族が利便性をとって)どこに住もうが単身赴任状態になる。

父親の現役(中間管理職)時代はまだ「週休2日制」という言葉を聞いたこともなかったような時代で、そういうことも踏まえてなのだけども、私は「父親というのは毎週土曜日の夜遅くに家に帰ってきて、月曜日の早朝には現場に戻ってしまう」ものであるというが普通の認識なのであった。

ただ私が小学生になる前、父親の転勤に合わせて私が幼稚園であるとかその後の学校生活を「数年単位で転校させるのはかわいそうである」とは考えてくれてはいたようで、家族揃っての転勤引っ越しは私が6歳を迎えるときに終焉を迎えた。

幼稚園の年少組は都内で過ごして1年で大阪は枚方市に引っ越し、そこでの1年は幼稚園年長組。お別れの挨拶と転校の挨拶をしたという状況だけはなんとなく覚えている。そこから小学校入学に併せて南大阪に引っ越して、高校卒業までそこで過ごすことになる。

南大阪に居を構えてからの父親は、記憶が確かなら3回ほど近畿近辺の大型建築に携わっていたと思う。ちゃんと聞いてないからわからないのだけど。

まぁ要するに、南大阪で一旦は落ち着いたのだけど、やはり父親というのは「土曜日の深夜に帰宅してきて月曜日の早朝にはいなくなる」という生き物であるという認識なのであった。

小学校の4年生だったか、参観日に父親のことに関しての作文を発表するというイベントがあった。私の前の席に座っていた同級生が「毎日夕方にはお父さんが帰ってくるのでうっとうしい」的な日記を発表したことには大いに驚いた。

「え。他の家では父親って毎日帰ってくるんだ!」みたいな。

父親が帰ってくる土曜日深夜は、母親からその週を如何に子どもが過ごしたかの報告会があったらしい。で、状況と報告内容に関しては日曜日に叱責されて平手打ちを喰らうのであった。そんな人が毎日帰ってくると思ったら死ぬかと思ったのは正直なトコロである。

(厳しい方面に関する)子どもへのしつけに関しては、毎週1回では足りないと思われたようで、近隣でもなかなか厳しいことで有名な英語塾に放り込まれた。何か粗相がアレば平手打ちは飛んでくるし、駅前の施設前で正座までさせられるようなトコ。今だと児童虐待案件で炎上するだろうなと思うがまぁ良い。

そういう状況下で、高校卒業までを過ごしてその後はまた父親の転勤があり、ここで私は家族と離れることになった。18年間とは云うけれど、詰めたら父親と過ごした時間なぞはどれくらいになるのだろう。合計で2,000日ないかもしれない。無論、母親もそれに若干プラスした日数くらいしかなかろう。

私が大阪に残った後に母親から聞かされた話だけども、ともかくはもう自身のことで実は手一杯で、社宅の団地に引っ越すたびに発生するご近所付き合いでパンクしそうになっていたらしい。顔には出さないようにしていたつもりらしいが、実はそうでもないイライラというのはずっと感じてた気がする。時には私が家族代表としての意見を求められたということもあり、よくもまぁそんなことまで私に投げてきたなとは後々になってから思い出して感じた。

新天地に行くたびにいろいろと仕事を探してきてはアレコレしていた母親ではあるのだけど、どこかのタイミングで正社員になるなんてことはなかったし、きっと考えていなかっただろう。ただ、南大阪で家を購入して、そこでたこ焼き屋でもやろうとは本気で考えていたらしい。その後の最後の転勤があったために、それは断念することになったようだけど。

転勤族が集まる社宅では、各家族の母親の間でいろいろとあったことも後年になってから聞いた。都内から出てきた家族(特に母親)はプライドが高いようで、相手が田舎出身だとわかると速攻でマウントを取りに来るであるとか。そういうのが子どもにまで派生していじめがあったりなかったり。

こういうのを今から思い返すに、転勤族の家族ってば本当に幸せなんですかね。昨今、そのようなことも多少は(もしかして)改善されてるようなところもあるように思えるのだけど、単身赴任であるとか転勤であるとか、本当にそういうのは目指すべき幸せとは間逆な方向のものなのではないかなぁとは思ったりする。人それぞれかもしれないけれど。

私は人に対する愛情というのものがとても薄いということに最近になって気が付いたのだけど、育った環境も多少は影響してるのではないかと自己診断をしたりする。身内親族が何かあるたびに「家族愛」という言葉を平気で使ってくることに対して、とても違和感を覚えるのはそれかもなぁとか。気持ち悪いとかそういうのではなくて、何も感じないというのが正直なトコロ。

自分の意志で長期間触れ合ったものに対しての愛情はあると思う。よくよく考えてみたら、猫のあげさんは20年と11ヶ月をともに過ごしてきたわけで、私が生きてきた中で出会った生物のうち、いちばん長く時を重ねたのであるな。こんな人生もそうそうないとは思った。

なんかダラダラと書いてしまったけど、まぁまぁそんな感じで今を生きている。

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